月別アーカイブ: 2007年10月

Corpora in Si(gh)te

Corpora in Si(gh)teに行ってきた。つってもオープニングのときだから1週間以上前だけど。

背景にかなりのプログラミング祭を感じた。五十嵐太郎さんとのシンポジウムとかも含めて感想は気が向いたら書くとして、ソーシャルブックマーク界隈ではやれOpenCVだ、やれARToolkitだと、強化現実などの動画像処理がもてはやされている(ような気がする)昨今、なぜか意外とスルーなCorpora in Si(gh)te。かなり気合入っているのにもったいない(もちろん建築的な部分も気合入ってます)。

あれ〜

前に副手をやってたころ、ある藝術大学の先生に「くぼたさんのところは学士でも副手になれるの〜?」と聞かれたことがあって、「本当だ〜!アヒャヒャヒャヒャヒャ」となったわけだが、今度の展覧会のメンバー見たら「この展覧会は学士でも出せるの〜?」的展開になっていることに気づいた。学位は意外と大切なのかもしれない。

死霊の盆踊り

たとえば、「死霊の盆踊り」を見て、「映画(という表現やそれが生み出す文化全体)の良さがわからない」と言う人は居ないと思うんだが、ニコ動に上がっているMAD(仮に「フタエノキワミ、アー」にしてみようか)を見て、「ニコ動の良さがわからない」と言う人は結構居ると思う。そういう話を聞くと、「映画もニコ動と同じようにそもそもメディア技術だし、ニコ動も映画と同じようにメディア文化のひとつなんだよ、バーロー!」と怒ったりすることも無い訳ではないが、その辺りのことはニコ動や、そのベースとなっているインターネットのインターフェースの問題な気もする。

要するに何を言いたいかというと、「死霊の盆踊り」みたいな映画を作りたいということだ。

ブーレーズがダメなら

IRCAM方面よりクレームがついたときのために、リュミエール兄妹というバンド名はどうかと考えていた時期が私にもありました。

メディア芸術作品の保存

図書館で仕事をしていると、慶應のアートセンターの会報「ARTLET」が届いた。

今回の特集は未来館の内田まほろさんの「メディア作品のアーカイブとミュージアム大変動」というもので、パイクの死去をきっかけとした美術館におけるメディア芸術作品の保存や収集の変化について記されている。

パイク死去以降、声高に叫ばれている問題ではあるが、メディア芸術はメディア技術が背景にある以上、その変化(進化)はつきもので、それが保存や展示のネックとなっている。これまでは作家が生きているケースが多かったので、まだ本人が自らの作家性によって現行技術の微妙な取捨選択ができたが、いよいよそうしたこともできなくなる日も近い、という話。

こういう話を聞くにつれ、作品をつくる上で、なぜその技術をつかわなければならないのかと自問するのだけど、自分としてはそれについての答えがあんまり出てないので、留保する意味も込めて存在が不安定なテレビ放送を使ったような記憶がある(例えば直接的に2011年で現行のテレビ放送は見れないので、それ以降は本人の希望があっても再現できないはず、とか)。