体験コミュニケーション/パプニング

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に行ってきますた。

『体験コミュニケーション』の方では、体験とコミュニケーションに飢えた獰猛な野獣が、光やモーターをもって私に襲いかかってきたので、やむを得ずこちらも応戦していった結果、体験とコミュニケーションは私と野獣との境目でぶつかり合い、そして私の思考は徐々に奪われ、主体は消滅し、やがて私は野獣に隷属する器官の一部となり果てた。
また、このような状況が同時多発的に会場で発生したことによって、会場全体に渡って調和が失われた。しかし、会場の2階、3階の常設展示を見ながら、メタ的な視点で『体験コミュニケーション』を見下ろしてみると、調和は失われたようでいて、新たに巨大な調和がそこに生まれていることに気づいた。工藤さんが指摘したように、岡本太郎が言う調和がそこにあった。

人類は進歩していますか?
縄文土器を見ても、ラスコーの壁画を見ても、現代の人間があんなの作れますか?
技術や生産の面では進歩しているかもしれない。
だが人間としては、むしろ退歩していると言っていい。
調和も、みんな相手の様子を見て、お互いに六分ぐらいのところで頭を下げあって、馴れ合うのが“調和”だと思っている。 そんな調和は卑しい。
フェアーに己を主張し、ぱんぱんとぶつかりあって、徹底的に闘って、その結果、互いを認めあったところに成り立つ均衡なら許せるけど、いま普通に考えられている調和なんて、ぼくは大反対だ。

獰猛な野獣たちによって主体を奪われ、その一部と化した私は、与えられたその足で世田谷ものづくり学校に向かい、パプニングを見た。前日、その場所でお化けによって主体を奪われていたにも関わらず。そこからの記憶は曖昧だが、あざみさんの作品は前の『記録の形』の方が好きでした。おしまい。

体験コミュニケーション/パプニング」への2件のフィードバック

  1. watanabetomoya

    あ、今回の作品がダメってわけじゃ全然ないですよ。

    細かいことは次のエントリに書こうと思いますが、
    前の作品とはアプローチが対照的だと思うんですよね。
    だから、僕の中で好き嫌いが決めやすかったという。

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