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コクリコ坂から

職場の同僚2名とともに防府まで車を飛ばし、「コクリコ坂から」を見る。

戦争による喪失が、直接的なかたちではなく、間接的に示唆されている感じが終戦から66年が経過した2011年っぽい。たとえば、「火垂るの墓」であれば、戦争がもたらす死がダイレクトに描かれていたが、「コクリコ坂」では、かつてそういう悲しいことがあったらしい、という描かれ方がなされている。「わたしの記憶」ではなく、「わたしの親の記憶」。

実際、戦争体験を語る人がどんどん減っていく中、近い将来、夏休みの金曜ロードショーは「コクリコ坂」が毎年放映されるようになるのだろうか。

八昌はなぜ良かったのか

八昌は広島市の中心部に位置するお好み焼き屋である。店内にはカウンター席しかなく、広島の多くのお好み焼き屋がそうであるように、そのカウンターの上は鉄板になっている。この鉄板を使って店員がお好み焼きをつくり、客はその上でできあがったそれを食べる。

わたしは、自分が頼んだお好み焼き――肉玉そば焼が出来上がるまでの間、ずっと店員の所作を見ていた。

まずクレープ状に生地を焼き、その上に、キャベツや肉などをのせる(これを本体と呼ぼう)。それと並行して、その脇でやきそばをつくり、それを先程の本体の上にのせる。そしてさらにその脇で目玉焼きをつくり、そのうえに天地を反転させた本体をのせる。

こうした一連の作業が店員の巧みなヘラ捌きによっておこなわれる。もちろん間断の間もなくシームレスに、というわけではなく、実際はキャベツが程良く蒸されるまで数分待つなど、料理特有の時間の濃淡が存在するのであるが、ともかくかようにして、わたしの眼前でお好み焼きはつくられた。というより、そこで他の客の分も作られたのであるから、延々とつくられ続けた、が正しい。わたしはおそらく10枚を超えるお好み焼きがそこでつくられていくのを目の当たりにしたであろう。

当初、わたしは店員の技巧に圧倒されていた。工業製品のようにつくられるお好み焼きの数々……しかし、ある瞬間にあることに気づいた。割られた卵に黄身が2つあったのだ。ああ、珍しい。料理をする人には分かるだろうが、黄身を2つ持った卵は滅多にあるものではない。自分もかつて1度だけ見たことがある。そういう珍しいものにいま再び出会えることができた。広島に来たのも何かの縁があるのかもしれない……そうした想いを巡らせていた次の瞬間であった。

別のお好み焼きをつくるために割られた卵から、またもや2つの黄身が出てきたのだ。これは珍しいなどという形容を超えた、もはやもはや奇跡と呼んでよいものである。かつて、一度しか見たことのない2つの黄身を持った卵が、いま立て続けに2つ現れたのである。この衝撃を一緒に来ていた濱くんと分かち合っていたところにさらなる衝撃が襲う。

さらに別のお好み焼きつくるために割られた卵から、2つの黄身が出てきてしまったのである。わたしは狼狽した。ここで考えられる可能性はふたつ。

  • とんでもない奇跡が起きつつある
  • 養鶏を取り巻く技術の発展によって、黄身を2つ持った卵が容易に作り出せるようになっている(にも関わらずわたしはそれを知らない)

このふたつの可能性のうち、どちらが真実なのだろうか。わたしの判断を待たないうちに、黄身を2つ持った卵は3個4個とどんどんその姿を顕にした。奇跡の色はより強くなり、と同時にこれが技術の所産であるという蓋然性も高くなる。しかし、宇宙開闢以来の137億年というタイムスケールに思いを馳せると、2つの黄身を持った卵が立て続けに何個も現れるという可能性はゼロではないだろう。

結局、わたしは答えがどちらかを判断することができなかった。なぜなら、八昌のお好み焼きはその迷いを吹き飛ばすほど、美味しかったから。八昌は良かった。