月別アーカイブ: 2013年3月

萬祭

世田谷パブリックシアターで開催された「萬祭」というイベントに参加した。このイベントは昨年6月に亡くなった舞踏家、宇野萬を追悼するためのイベントで、死去から約9ヶ月の時を経てついに実現した。で、この追悼されている宇野萬という人は、職場の同僚だった宇野三津夫さんのことでもある。

宇野さんのことは、その60年の生涯のうちの最後の2年しか知らない。しかも、最近になって知ったことだが、宇野さんがガンの再発が告知された直後に自分が山口県に赴任してきたようなので、ほとんど晩年のことしか知らなかったと言える。実際、舞踏家としての宇野さんを目撃したのは彼が経営していたバー「マングローブ」の閉店イベントと、彼が建造した別送のこけら落とし公演の2回のみだった。

会場には、300〜400人くらいの人たちが詰めかけ、追悼イベントであるにも関わらず熱気のようなものがあった。そして、宇野さんがかつて所属していた大駱駝艦の麿赤兒さん、お弟子さんの原田さんをはじめとする舞踏家たちがパフォーマンスを披露していった。つきなみな言い方にはなるが、宇野さん不在のステージはそれゆえに宇野さんの長いキャリアで築いたものの大きさが感じられた。

ステージの外には、若かりしときのものから、割と晩年に近いものまで、宇野さんのパフォーマンスの模様が収められた写真も展示されていた(配布された追悼集にも掲載されている)。勝手な話だが、舞踏というと日本固有の祝祭性とかあるいは重力への指向からくるある種の湿っぽさというか、そういう印象があったのだが、宇野さんは日本人離れしたイケメンだし、筋骨隆々としたタイプだったので、そういう印象とは無縁の不思議なオーラがあった。ここでも、宇野さんのキャリアで築いたものの大きさを実感。

そのあとは、山口から来た同僚&元同僚たちと飲んでたんだけど、なんか自然と宇野さんの話をしない感じがなんか良かった。

宇野さんとは席が真向かいだったので、あいさつとかたわいのない話しかしなかったのだけど、こういうかたちでしか業績に触れることが出来なかったのが今思えば非常に残念。難しいことだけれども、やっぱり急いだ方がいい。

凧糸

前のエントリで、3月11日のような、悲しいとも虚しいとも付かない茫漠とした感情になる日には凧を揚げたり、釣りをしたりしたいと書いた。なんとなくザザッと書いたので、凧揚げと釣りの共通点を全く考えていなかったが、両者には糸という共通点があった。つながる先は空(風)と海で違うけども、なかなかつながりにくいものをつないでいる。

あと、3月11日にどうして茫漠とした感情になるのかを考えてみると、平穏に見える日常というものは動的平衡のようなギリギリの状態にあるというか、かなりその存立の基盤は脆いということを思い出すからではないか。脆いからいつかはどうしても壊れる。そういったギリギリの状態が凧揚げや釣りにはうっすらとある。

凧揚げ

何かを悼むのに凧を揚げるという習慣というのは、この数日で初めて聞いたのだが、センスを感じるというか、漠然とマッチしている気がする。これからは、そういう時に釣りをしたり、凧を揚げたりしたい。