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ホーリー・モーターズ

自分は小説を書いたことがなかったし、だから小説家ではないし、そもそも小説家を書こうと思ったことが無かった。だから、昨年の「京急蒲田処女小説文藝大賞」にあたって、小説の執筆を依頼されたとき、小説を書くこと自体を題材とした小説を書いた。なぜなら、自分の内側から沸き上がる「書くべき主題」、というか一定以上の解像度を以って描くことができる主題が、技術的な問題から限定されていたからだ。技術的というと、文章の巧拙みたいだけれども、「世界観」というか、世界を観るポイントを設定する感じに近い。要するに、技術が無い場合、メタ的な構造にアクセスしてしまえば、作品として成立させやすいということなんだけど、それは同時に競争も激しいということでもあって、まぁいいか。

それで、レオス・カラックスの「ホーリー・モーターズ」を観た。映画をつくること、上映された映画を観ること、それ自体についてのあまりにも真っ向から挑んだ映画だった。ほとんど奇跡のような映画としか思えなくて、映画ということで言えばアピチャッポンの「ブンミおじさんの森」以来の衝撃。

極限芸術

鞆の浦にある鞆の津ミュージアムで開催中の「極限芸術〜死刑囚の表現〜」という展覧会に行ってきた。この展覧会は、死刑囚が獄中で手がけた絵画や書などをあつめたもので、開館1周年を記念して企画されたという。詳しい情報はミュージアムのウェブサイトであるとか、あと、非常に反響を呼んでいる展覧会なので、ニュースサイトやブログなどを参照して欲しい。

まず思ったのは、作者が死に直面しているという事実がどうしても、観る側に特殊な感情を喚起させるという点。たとえば、なにかの病気であれば、もしかしたら治る可能性があるかもしれない。だけれども、この死刑囚という存在は、制度的に死が宿命づけられている。特殊な事実が作品を特殊なコンテキストにしばりつけている感は否めない。

そういう意味で、一番グッと来たのは、刑務所の食事に出てくる味噌汁の具をチャート式に100日分まとめた絵、というかダイアグラムだった。A4ほどの用紙に、100日分の味噌汁の具が記入できるよう、定規でマスが作られており、そこに大根や白菜といった具が色鉛筆でアイコンでびっちりと記入されていく。この人はいったい何故そんなことをしているのだろう。刑務所という非日常的な空間の、とてつもなく平坦な時間をなんとか埋めていくために、毎食出される味噌汁の具に巨視的なリズムを見出すことにしたのだろうか。詳しい理由はよく分からないけれども、100日分の味噌汁の具が描きこまれたそのダイアグラムには、いつ死を突きつけられるか分からない彼らの、100日単位の生の確認作業のように思えたと同時に、そういう確認作業が必要なほど希薄な生の実感(事実上社会的には抹殺されているに近いので当たり前かもしれない)が提示されていたように感じた。