幅の広さ

ある作品が、ほんとうは作品じゃなくてもいいんだけど、ここでは仮にある作品が、多様な解釈に開かれているなどと、非常にポジティブなこととして語られたりする。で、たまにそれって開かれて無くないか?と思うことがある。ダメな例の反証を挙げていくと面倒なので、端的に書いておきたい。

まず前提として、

  • 自分自身は自分自身の「解釈」にしか触れることができない
  • つまり、他者の「解釈」に本質的に触れることができない

ということがある。そのうえで、

  • ある作品をめぐる「解釈」が絶対的に単一であるとしか信じられない
  • にも関わらず、たとえば他者とそのある作品について語り合ったりした時に、そのことがあっさりと覆される
  • それもあらゆる他者と語り合った時に

という場合、多様な解釈に開かれていると言える気がする。つまり、作品を観たりした時に「こう考える人もいるだろうね」「ああ考える人もいるだろうね」ということを思ったとしても、開かれていないのではないか。自分が平行世界のことを知るよしもないように、絶対的な揺るがなさが、不可知的にパラレルに広がっていかないと多様な解釈に開かれているとはいえない気がする。

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